わたしは勉強ができない、というよりはもはや勉強というものが嫌いだった。
というのも勉強で成功体験を詰んだ経験が手で数えられるくらいしかないし、失敗したらホントに落ち込む。
ほとんどの人の勉強嫌いの理由はたぶんこれだと思う。
たとえばわたしの弟は、たぶん勉強に関しては成功体験を詰んでるから劣等感とかあんまりないと思う。
中学受験で第一志望に入れなかったぐらい。とはいっても入った学校はいいところ。わたしなんかに比べたら大学受験や就活もすべて超順調に見えた。でも、上には上がいるから彼には彼の悩みがあるとは思う。
運動は好きだった。なぜなら成功体験が多かったから。
走るのが好きだったし、いつも走りでは1位だったり上位にいたし、練習も面倒くさいと思うことはあってもそれなりに結果がでたので少なくとも勉強よりは楽しかった。
でも、これも部活に入って大会に出るとわたしより速いやつなんてゴロゴロいるからすぐ鼻はへし折られるんだけどね。
もう結論は出ている。
成功体験を得て自信をつけるために努力するしかないのだ。
ただ、成功体験を得るまでの努力がしんどすぎるし、面倒くさいしダルいのだ。ここでみんな折れていく。
ダイエットも運動嫌いの人からしたらしんどい。
てか、嫌いなことをそんな継続して努力するのなんてしんどすぎる。
なので努力、頑張るという言葉を使うのをやめた。
大嫌いだ。
あんまり代わりとなる言葉を思い付かないけど、楽しくやってこうよと鼓舞している。
ホントに勉強が嫌いだったので、好きなことをして仕事出来たらなぁとか思ってたが、もう中高生くらいには自分は凡人でそんな才能もないから無理だとあきらめた。
そもそもやりたいことや好きなこともなかったし、大学に入ってもどうせ見つかるわけがないと気づいてた。
だいたい、そんな簡単に見つかったら苦労しない。
若いうちに進路決めろなんて酷すぎる。
やりたくても仕事にするのって難しいんだな、ってのは親を見て気づいていた。
高校生のときに思い描いてたこと。
将来的に、結婚や出産はしてみたいと思っていた。ただそれだけ。
ただ、結婚する夫と離婚することや死別する可能性、他にも人生何が起こるかわからないから、1人で子供を育てられるくらいの力はほしいと思って進学した。
そして今に至る。
今のところ、そのときの夢に向かって走ってはいる。
時間と金がかかりすぎてるけど。
でも、この人とずっと一緒にいてもいいかもしれないって人に出会えてるし、友達にも恵まれてるのでわたしの人生今のところ悪くないかなって思う。